裏宿七兵衛さんのお墓
裏宿七兵衛さんのお墓
青梅の鼠小僧「裏宿七兵衛」
青梅は「帯びの長宿」と唄われるように、東西に長い宿場町でした。
江戸時代中期、青梅の西方に裏宿という地に七兵衛さんは住んでいました。
七兵衛さんは青梅のねずみ小僧と言われていますが、その正確な伝記はほとんど不明です。
言い伝えでは、「一晩に十里(四十㎞)疾走し、遠くの都で盗みを働き、金品は貧しい人々に配り、翌朝何食わぬ顔で近所の人と挨拶をしていた」とか「笠をを胸にあてて走って笠を落とさなかった」とか「一反の布を腰に付け走り、布の端が地面につかなかった」、七兵衛は生まれつきの速いその足で、一晩で遠く甲州まで走り、そこの高利貸しの土蔵より金品を盗み飢饉に苦しむ地元の人々に分け与えた、ということです。などの健脚話がある義賊です。
また、羽村市出身の中里介山の小説「大菩薩峠」の始めに、人情も有り義侠心もある盗賊として登場しています。
しかし捕まってしまいました
このような義賊「裏宿七兵衛」もついに捕まってしまうときが来ます。
元文四年(1729)10月に村山三ツ木で裏宿七兵衛なるものが一味五人と共に捕らえられ、地元のひとの嘆願にもかかわらず、多摩川の大柳河原で処刑されました。その首を宗建寺裏手にあった青梅街道の「笹の門」という所でさらされたということです。
ところが、一夜大雨があり宗建寺脇の別当沢という小川に流れ着き、当時の和尚がこれを手厚く葬ったということです。
それ以来今日まで、足の速かった七兵衛さんを拝むと、足腰が丈夫になると伝えられ、お参りされるようになりました。
北の湖親方、瀬古選手選手
今では、健脚で知られた義賊七兵衛さんを供養する力士やアスリートも後を絶ちません。
故障に苦しんだ「横綱北の湖」や「マラソンの瀬古選手」なども七兵衛さんのお墓参りをして、勝利を祈願しました。
子供達の交通安全を見守る七兵衛さん
今では七兵衛さんはその足の速さから「交通安全」の守り神としても地元で親しまれています。
七兵衛さんの供養の日には地域の方々が供養祭を行い、参列者には小中学校校長や青梅警察署長が参列しいるほどです。(「義賊といえども、泥棒の供養に参列するのはちょっと不思議な気分」と署長は言っていました)
足腰を強くしたいアスリートのみなさん、健脚をいるまでも保ちたいみなさん、一度七兵衛さんのお墓参りをしてはいかがですか。