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庚申塔

庚申塔(こうしんとう)

庚申塔(こうしんとう)とは

庚申塔
宗建寺の池の奥にある妙音堂の石段下に、庚申塔があります。
これは全国的にみても珍しい形の石塔だといわれております。
特に精巧な細工に注目して下さい。石台の三申(さる)が烏帽子や、ちゃんちゃんこをまとい、舞いながら扇で目口耳を押さえている点など、とても珍しい庚申塔です。
では、「庚申塔」とは一体何か、いつ頃建立されたかをご説明したいと思います。

人間の身体の中には「三匹の虫がいる?」

庚申塔は庚申信仰の供養の為に作られました。
庚申信仰とは、道教の守庚申(しゅこうしん)に由来し、平安時代に中国から日本へ伝わり、室町時代に流行し、江戸時代には民間で広く行われるようになりました。
道教では、人間に身体の中に「三尸(さんし)」という三匹の虫が住んでいて、「上尸(じょうし)」は頭の中、「中尸(ちゅうし)」はお腹、「下尸
(げし)」は足にいるとされていました
この虫は、庚申(昔の暦のこと)の日の夜に眠っている身体から抜け出し、天帝(道教の最高神)にその人間の行った悪事など悪いことを報告に行き、天帝はその報告によって人の寿命を決めていました。
「三尸」が抜け出すのは庚申の日の夜、眠っているときと決まっていましたので、人々は庚申の日には夜通し起きていて「三尸」が天帝に悪事を報告するのを阻止しようと考えました。
そこで人々は、庚申の日には呪文を唱えたり、茶を飲んだり、遊んだりして徹夜をしました。これを「庚申待ち」といいます。「待ち」は「祭(まち)」とも書きます。
これがコミュニティーとなり、講となり、それを供養するために塔を建てたり塚を建てるようになりました。

見猿 言わ猿 聞か猿

庚申信仰は仏教や神道にも習合されていきました。
仏教では本尊を青面金剛(しょうめんこんごう:顔の色が青い金剛童子)とするものが多く見られ、その怒りの形相や身に蛇をまとう姿によって、病魔、病鬼を払い除くことに威力絶大とされています。すなわち段々と魔除けの信仰になってきたわけです。

さらに、庚申の申(さる)と猿をかけ、そして「見ざる・言わざる・聞かざる」で知られる三猿が庚申信仰に取り入れられました。
神道系では、三猿の猿または「申」に関連づけて猿田彦神(さるたひこのかみ)を祀るものもあります。三猿のレリーフはなく猿田彦または猿田彦大神の文字だけが彫られた角柱状の石碑が一般的です。

全国的に珍しい宗建寺の庚申塔

一般的に庚申塔は石柱や角柱状の石碑が一般的ですが、宗建寺の石碑は円形石碑の中に「青面金剛」彫られ、その下には精巧な細工で三申(さる)が烏帽子や、ちゃんちゃんこをまとい、舞いながら扇で目口耳を押さえている点(見ざる、言わざる、聞かさる)が彫られている全国的にてみても大変に珍しい庚申塔です。

宗建寺の庚申塔はいつ頃建立されたか

1812年に建立されたという記録と「客僧の『常休』という僧が次々と石像を作らせ供養していたらしい」という記録があります。

健康で長生きのために

宗建寺の庚申塔へのお参りをされるときは、ぜひ、素晴らしい「青面金剛」と「三猿」をごらんください。
きっと健康で長寿を全うできますよ。